関正勝さんのお話

「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば・・・」(ルカ17:6)

エスは弟子たちだけではなく特別な使命を担う「使徒」たちの問いに答えられています。使徒たちの問いは罪の赦しの問題で、罪を犯した者への赦しは何度まで求められるかでした。
エスは「七回まで」と答えられます。
彼らユダヤ教徒たちの間では「3回まで」(ヨブ記33:29を根拠に)。マタイ福音書では「七の七十倍」。
このことに使徒たちは驚いています。
動揺しているようです。
ですから彼らは「私どもの信仰を増してください」と真剣にイエスに求めています。
エスは答えて「からし種一粒ほどの信仰があるなら・・」と言われます。
エスはこれまでもしばしば「神の国」の働きが、人々の目には隠されて、したがって気づかれないようなしかたで展開されていることを語ってこられました。
信じることの根拠を自分自身に置くのか、それとも神の働きに置くのか。
「七の七十倍」もの赦しという途方もない要求に自分の無力さを思い知らされます。
「私どもの信仰を増してください」との祈りが現実とならざるを得ません。
しかし、「からし種一粒」ほどの信仰、神の働きへの信頼と信仰があるなら、求められている「赦しの現場」に無力さを口実に無関心・無責任な態度はできない。
いや、イエスは私たちに大きな「山を移す」ほどの信仰ではなく、「からし種一粒」ほどの信仰、神の働きへの信頼を求めておられることでしょう。 (司祭 バルナバ 関正勝)