今気がついた。
ひとりで大阪のプロジェクトをやらされたことがあった。自分がとってきた仕事ではなかった。とった人間はこれに携わらずに、他の目立つ仕事にむかっていた。
なんでたったひとりで、客先との交渉、下請けとのドンパチを含めて矢面に立つことになったのか。そうか、儲かったらめっけもん、儲からなかったら、責任をとらされて左遷、という筋書きだったのか。
だから、数年経って私に出逢った時に、彼はあの落ち着かない挙動不審に陥ったのだ。復讐に来たと思った、ということだったのだ。
ま、嫌がられていたことは間違いがない。ヨイショもしないし、盆暮れの貢ぎ物すらしなかったものなぁ。私の代わりは営業をしたこともない、彼の手飼いの子分だったもの。
気がつくのが遅すぎる。あれからもう30年経っている。